本業は編集者、ディレクター。でも、実はシブヤ大学恵比寿キャンパス校長や、恵比寿のアートイベント発起人など、いろいろしてます。そんな小倉若葉(おぐらなおよ)の日常を綴っています。子育ても満喫中。
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桜が咲くたび、hana ouiが生まれた年のことを思い出します。
あれは忘れもしない2000年の早春。 デュアルがゆっくりと走り始めた時期でもありました。 当時スタイリストとしてデュアルに加わったばかりの奥野元子が、初仕事で「SAKURA」と題されたとあるイベントのスタイリングをすることになったのです。 現在はハワイ在住の小社取締役・神宮寺愛とともに、桜にまつわるさまざまなもの――桜柄の扇子や器、花かんざしなどを仕入れるため、京都へ出張したのです。 確か3泊くらいの旅程だったはずですが、偶然にもそのうちの1日が私の大阪取材と重なったため、「こんな機会はそうあるもんじゃない」と、私も京都へ立ち寄り、一泊することにしました。 でも、木枯らしが吹きすさぶ京都駅に降り立ち、心底後悔しました。 2月の京都があんなに寒いなんて、想像もしていなかったのです。 「風が身を切るように冷たい」とはまさにこのことで、旅館のお風呂が最高のご馳走だったことを覚えています。 私が帰る翌日、風はさらに冷たさと激しさを増していました。 こんなに寒いなかを歩き回って、ディスプレイ用の品々を集めなければならないふたりに、心から同情したものです。 案の定、ふたりとも体の芯から冷え切って体調を崩してしまったのでした。 でも、そんな大変な京都の旅で、奥野元子は出逢ってしまったのです。 大正時代の桜柄の着物地に。 春らしいうぐいす色のちりめんに散りばめられた、くっきりと鮮やかな桜。 それは、明らかに戦前の、日本人が日本人らしい色香を失う前のもので、ハッとするほど印象的な一枚でした。 イベントの後、事務所で後片付けをしながら、「この着物地、いいでしょう? すごく気に入ってるの」と言って、奥野が愛しそうに何度もそれを撫でていた姿が、今も印象に残っています。 それからまもなくでした。 奥野元子が「この桜柄の着物地を使って、何かつくってみようかな」と言い始めたのは。 いつもどおりパソコンに向かって原稿を書いていた私は、ふたつ返事をしました。 「いいんじゃない? だってデュアルはみんなが興味のあること、やりたいことをやるためにつくった会社なんだから」 でも、正直言うと、着物地でつくるなんて、ナンセンスだと思いました。 成田の土産物屋に並ぶ、垢抜けない着物柄の小物とか、ある程度年齢が行かないと絶対着られない着物のリフォーム服とか、そういう類のものしか想像できなかったからです。 けれど、実際にでき上がったのは、タイトなシルエットのロング丈の巻スカートでした。 スカートの正面に着物地を配置し、そのほかは服地を使ったシンプルなつくり。 でも、それをはいた人を見た誰もが、着物地に釘付けになるような力強さを、そのスカートはもっていたのです。 しかも、歩くたびに着物の裾からチラチラと見える長襦袢(ながじゅばん)を意識して、巻きスカートの合わせには鮮やかな赤色の裏地を使っているのも心憎い。 このたった一枚のスカートを見て、私も神宮寺も、奥野のセンスをとことん信じることにしたのです。 あれから5年。 あのとき産声を上げたロング巻スカートは、バージョンアップをくり返しながら、今もhana ouiの定番として堂々と存在しています。 奥野元子が種を撒き、デュアルのメンバーが「発芽はまだか、まだか」と見守っていたhana ouiは、数か月後、初めて芽を出したのと同時に、さまざまな人たちによって慈しまれ、育てられてきました。 そして、ついに来週、恵比寿に秘密の花園のようなhana ouiだけの空間がオープンします。 今日、早くもお電話でウェディングドレスオーダーの予約をしてくださったお客様がいらっしゃいました。 晴れの日のなかでもいちばん特別な日にhana ouiを選んでくださったことに、どう感謝の気持ちを表していいのかわかりません。 でもその代わり、と言ってはなんですが、奥野元子がhana ouiらしい仕事をきちんとしてくれるはずです。 実は今回、自前でショウルームを立ち上げる決意をしたとき、奥野元子とふたりで決めたことがあります。 私たちは女の人が晴れの日に着て、いちばんきれいに見えるhana ouiを、これからも一点ずつつくっていくこと。 たとえ車椅子に乗っていようと、手足がなかろうと、着る人に合わせ、その人がいちばんきれいに見えるhana ouiをつくること。 よく「メンズはつくらないんですか?」って聞かれるんですけど、残念! hana ouiはこれから先もずっと、現・女の子&元・女の子だけのものです。
by hanaoui
| 2005-04-08 22:17
| hana oui
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